こんにちは。
心理カウンセラーのNAOです。
他者と関わる時、
さほど神経をすり減らさずに良好な関係性を築く人と、必要以上に気を遣う事によって対人関係において疲れやすい人がいます。
前者と後者の違いとは、いったい何なのでしょう?
後者の場合、なぜ人との関わりで疲れるのかというと、他者に「嫌われる」ことを恐れているからだと思うのですが
もう少し深く掘り下げてみると、
「他者に認めてもらえない自分を、自分自身が否定している」から
嫌われないように頑張り過ぎてしまうのかもしれません。
また、その否定の中には幾つかのコンプレックスや傷が潜んでいる可能性もあります。
ですから、冒頭で挙げた前者と後者の大きな違いは、「自分」との関係性が良好であるかどうかだと私は思っています。
おそらく前者の場合には、
「人からむやみに嫌われる事はもちろん避けたいけれど
故意に傷つけてしまった場合を除き、相手が私をどう思うかは相手に委ねるしかない」
という考え方を、自分に許していると思います。
しかし、過去に何らかの理由があって自分を信頼する力が弱っている場合には
他者から受け入れられたり賞賛されなければ、私は私でいいと思うことが出来ないのです。
ただ残念ながら
人の心をコントロールすることは不可能で
またどれだけ自分は人に気を遣っていると思っていても
自分の何気ない言動が、相手の受け取り方次第では傷になっている場合もあるのです。
ですから、人と人が関わっていく以上
互いに無傷でいられる関係性というのは、ほとんど無いと言ってもいいのかもしれません。
その日の心身のコンディションにも左右されるでしょうし、
やはりそれぞれが元々に抱えている心の傷というのも、人と関わる上においては大きく作用するのものだと思います。
私自身も、人から受け入れられる事に必死だった過去があります。
今も、特に疲れているとそのような感覚に陥っている自分に気づきます。
ですが、
すべての人に好かれ認めてもらうことは無理があることや
私も知らない内に誰かを小さく傷つけているかもしれないこと
そして万人に受け入れられる事以上に、自分が自分を認めてあげたかったことに気づいてから、
「嫌われたくない」という思いは、少しずつですが小さくなってきているように思います。
その代わりに、「自分は他者とどう関わっていきたいのか」を考えるようになりました。
私の場合は、
今も人と関わる上で緊張を感じる事もあれば
時に嫌な出来事があったりして殻にこもってしまいたくなるような日もある。
でも、少なくとも人によって態度や対応を変えるとか
故意に誰かを傷つけようとすることとか
嫌われたくないから相手の気持ちを満たそうとするような
自分を嫌いになるような事はしないで、
私が心地よいと思える関わり方をしていきたい、と思うようになりました。
その為には、やはり自分との関係性がとても重要になってきますが
今の私は、もしかすると誰より私自身と対話しているかもしれません。
またそれによって心に安心感も芽生えつつあります。
もし、以前の私のように
対人関係において、何よりも「人から嫌われないこと」に神経をすり減らして疲れ切っている方が見えましたら、
もしかすると、あなた自身が自分を強く否定し続けてきたのかもしれない、ということに
一度目を向けてみて欲しいと思います。
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